2004年日記 2003年日記 2002年日記


■2/15■

 夢について。
私はよく夢を見るほうです。REM睡眠の時には夢を見やすいと言われています
が、まさに其のとおりというのが、二度寝したり、起きる少し前に夢は見ているように
思うのです。
 夢分析は時々します。分析といっても、例えば何かの知識書に書かれた、「このよう
な内容の夢は、こういう意味がある云々」ではなく、自分なりにその見たことのない光景を、
記憶と照らし合わせたり理由を考えたりする作業を指しています。
 過去に覚醒時まで引きつった怖い夢を見たのは一度だけです。内容はもう忘れてしまいました
が、比喩でなく汗だくになり、震えがしばらくとまりませんでした。そのまま学校へ行きました
が、怖さというのは理由がわからない怖さというものです。未知を対象とした漠然と漂う
恐怖で、体が落ち着かない、いても立ってもいられないようなものでした。
自分が死ぬ夢も、記憶に残っているものであれば三回ほど見たことがあります。

つい、昨日見た夢について。
午前五時にアルバイトの為起床予定である私は、最低五時間は睡眠を取ろうと、
午前零時以前に寝付くように床へ付きます。そして寝付けないと午前一時くらいまで
ごろごろしてたり、逆に早起きの家族の起きた気配を察知しているのか、午前四時くらいに
目を覚ましたりします。
この習慣に、経験から一つ言えることは、少なくとも午前一時から四時までの三時間は
目覚めたことがなかったということです。
昨日は初めて午前二時五十二分頃に目が覚めました。何故かわかりません。
外灯が近くにあるせいか、部屋は意外と明るく、灰色のような薄青いような、彩度が
低く、音もしない静かな空間が周囲を満たしていました。
 夢を見たのは恐らく再度寝付いてから、携帯電話の目覚まし時計が鳴るまでの、およそ
二時間半の間に見たものと思います。
記憶からして夢の内容は三つの場面がありました。最後の場面はしっかりと覚えていますが
前二つは、どちらが先かは覚えていません。

第一場面は周りに背の低い草が広がるところで、少し先に崖のような地形がありました。
崖下には何も無かったよいうに思います。崖には朽ちた二階建ての建物があり、部屋の中が見える
位に朽ち果てていました。恐らくアパートのような建物だったのか、二階にも外付けの廊下
があり、次にはその廊下に立っていました。朽ち果てているその建物に似合わず人が住んでいる
と感じ、その朽ちた一室から、走り出てくる子供を注意する母親が出てきたのを覚えています。
ただ、子供の姿は覚えていません。ただ、走り出てきた、という記憶しかないのです。
母親の容姿は若干覚えていますが、おぼろげです。
因みに外の天気はよく晴れていて、朽ちかけたアパートも陰惨な感じはしませんでした。
 第二場面が、とても印象的です。本棚のような空間が等間隔に並び、照明は粗末な
裸電球のものが、上からつるされているだけ、という場面です。全体的に無機質な
感じがし、外は夜だったと思います。本棚の向こうにはすりガラスの大きな窓が並び、
其の先で、何かが沢山うごめいているのです。すりガラス越しにそれらは真っ白い人間
のようにも見え、上半身が人型であり、視界の左から右方向へゆっくりゆっくり進んで
いるのです。しゃべっている感じではないのですが、歩く音、息遣い、絹連れといった音が、
窓の外から蠢く唸りとなって、聞こえてきているようでした。
この場面で私以外にもう一人そばにいました。私はそのもう一人に向かって、静かに、そして
身動きしないようにと注意をするように言ったと思います。
第三場面は、何故か「弔問」という言葉と「夜の祭り」がきになりました。前者は
弔問、ということを思い浮かべて、現状を消化している夢の中の自分がいたからです。
後者は、夜の祭りのような人の息遣いがまわりにあったということです。
場面の記憶は、ただ人が沢山いるということと、夜であり、祭りのように橙色の明かりが
漂っていた記憶があります。また、記帳をしなければと、筆をとって、机の前の白いノートに
何かを書こうとして、筆の芯が折れて擦れた文字を書いている場面を覚えています。
筆には墨をつけましたが、ノートに何を書いたかはさっぱり記憶に残っていません。



■2/8■

 音楽について。本当に久しぶりに、音楽を聞いて鳥肌が立つくらい、感動しました。
勿論楽器によって生まれる旋律にも感動したのですが、私の記憶の再生が、涙腺を
緩くしたと思います。もう二度と戻らない無二の刻の、其の時の思い、感情、匂い。
五感、六感全ての記憶が喚起され、体全てを、当時の感覚、記憶の風が吹き抜けてゆく、
代えがたい感情の嵐。
この嵐は、今を思わせつつ、全ての今を一時的にことごとく破壊し、昔の風景を、
周りに創生してくれるのです。

 近状。猫に萌えましタ。とりあえず猫が日向にいたらふらふらと近寄っていくし。
っていつものことですけれどね。


■2/1■

 さて、どうしたものでしょう。ご無沙汰です、息吹です。
HP更新に着手したものの、どこをどういじっていいやら…。そろそろ見苦しく
なってきたCG達を後悔(公開)停止して闇へ葬り去ったり、新しいタグをちょこ
ちょことつまみ食いしては、もうちょっと見やすく(楽したいのが本音)したり
してみようかなと思ったりです。
あ、あとちょっと現実ではやヴぁいことになってまして、かなーり精神的にも
お疲れモードです。当初エメクラでの絵の募集でもしてみようかな?とか甘い
こと考えてましたが、ちょっと無理そ♪(死
 この歳になって何甘いことぬかしてるのだと言われそうですが、自己責任
位は胸張って主張できるようにしたいです。


 ■文章■
 無限にある可能性の中で、身振りではなく相手の脳に理想化した情報を伝え、
考えさせるのが言葉や声などの効果の一つではないだろうか。
その意味は大きく、受け取り手にその解釈を依存しつつも、受け取り手を
根本からわずかに変質させる(情報の増加、新たな発想の発現)。
 文章は聴覚ではなく、視覚からその情報を得る。そして、書き手も、
自己の内面の整理として文章を書く事になる。文章として表現した
客観対象は、自己の内面でありながら、その時から一人歩きを始めるのである。
声とは違い、視覚的に目の前に文字が躍り出るのであるから、客観対象であることを
意識し易いのではないだろうか。
もし、刹那の、過去の、時々の自分にはっきりと対面したいなら、文章を
書いて見ることが一つの方法である。そう思いながら、これを書いている。
■■

なんとなく書いてみたくなりました(爆
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送